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| 投稿日:2005/12/18 01:13 |
投稿地域:中国・四国地方 |
| 投稿者:ギャオ |
昔、学校の校舎といえば木造というのが定番だったようですね。昭和45年生れの私は、木造校舎で勉強したという経験はありません。しかし、私の兄の時代には、まだ木造校舎があったことを、運動会の写真で見て覚えています。また、学校区が少々離れておりますが、我が街・倉敷においても、倉敷市立西中学校では現在も木造校舎の一部が現役で活躍しております。
さて、この写真、どこかで見た覚えがありませんか?「ALWAYS 三丁目の夕日」をご覧になった方ならもうお判りですよね。東京都港区立夕日町小学校の昭和33年当時の校舎です。珍しく、校舎の屋根に雪が少々積もっていますよね。映画の中でも、クリスマスの夜かイブの夜かよく判りませんが、雪が降っていましたから、その雪が積もったのでしょう。その翌朝はいい天気でしたからね。
ま、映画にそった話はそれくらいにして、昭和語録らしく、本題に入りましょう。この写真は、映画のロケ撮影に使用された「旧遷喬尋常小学校(きゅうせんきょうじんじょうしょうがっこう)」の校舎です。岡山県真庭郡久世町鍋屋(市町村合併に伴い、現在は岡山県真庭市鍋屋)にあります。「旧」という接頭語が示すとおり、1990年夏まで、「遷喬小学校」として現役で使用されていました。建築が完成したのが1907年7月、工事期間が2年ということは、丁度今から100年前に建設が開始されたことになります。
この校舎を建設する為に、当時の久世町は、町の予算の3年分を費やしたと言われています。ちなみに久世町というのは、岡山県北部の小さな町で、合併以前は人口12,000人程度で、これといった産業もない、ごくごく普通の小さい農村というイメージです。(←久世の皆さん、ゴメンナサイ。ちなみに和紙の原料であるミツマタという植物の栽培が盛んで、日本の紙幣原料のうち、久世町原産のミツマタの占有率は20%程度あるそうな。)しかし、そんな小さな町でさえ、100年も前の時代にそのような大出費を実施したというのは、物凄い事です。
「昭和語録」が「明治語録」になってしまいますが、昭和という時代にせよ、それに先行する明治大正という時代にせよ、未来を担う子供達の為にしっかりした学習環境を与える為に、「学校教育」という制度=システムと、それを効率よく行うための学校=教育学習施設のインフラ整備に、莫大なお金を費やしていたことが判ります。それは、換言すれば、「未来への社会的投資を惜しみなく行っていた」ということなのだと思います。久世町のこの学校はその典型例であろうと思います。
今の時代、何が欠けているのか、また何が問題なのかといいますと、結局、今現在を生きることで精一杯なので、未来をこうしたいああしたいという希望や夢がなく、余裕がないんですね。従って、未来に投資することを真剣に考えなくなったことが大きなポイントだと私は考えています。この悪循環を断ち切る為にも、少なくとも社会そのものが「精神的余裕」を持つ必要があると思います。少なくとも、私自身は、どんなに状況が厳しくても、心にゆとりをもって人に接していきたいと常に心がけています。
この作品を見たのが経緯で、この古きよき時代の典型的かつ立派な校舎を目の当たりにするおとができました。感謝感謝。私には縁もゆかりもない校舎でしたが、その歴史が何かいろいろと語りかけてくるような気がしました。さぁ、「未来の為に頑張ろう」と気持ちを新たにしたと共に、またここに来ていろいろと考えようと思いました。
長文になり失礼しました。東京都港区立夕日町小学校が劇中に登場する架空の小学校ですが、そのイメージは映画を見た人にとっては非常に現実感のあるものだと思います。夕日町三丁目の住人になりたい人は、この現存する「旧遷喬尋常小学校」に是非とも足を運んでください。(検索エンジンで「旧遷喬尋常小学校」と入力すれば、間違いなく多数の情報が出てきますので、興味のある方、頑張って行って見て下さい。)古き良き時代は、過去のものではなく、必ず現在に続くものであり、そして未来へも続いていくものです。では。
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